PUNK(パンク)といえば、音楽だけでなく、またそのファッションも多くの方に知られています。
パンクファッションと聞いて思い浮かぶのは・・・・?
ジョニー・ロットン、セックス・ピストルズ、そしてヴィヴィアン・ウエストウッドではないでしょうか。
私も長い間、そう思っていました。
ロンドンでパンクファッションが広まる、その少し前のこと。
1970年代半ば、ニューヨークのライブハウスCBGBで、破れたTシャツを安全ピンで留め、細いネクタイを締め、ボサボサに逆立てた髪でステージに立つ青年がいました。
その青年こそ、Television時代のリチャード・ヘルです。
当時のヘルは決して裕福ではありませんでした。破れたTシャツを安全ピンで留めてステージに立つのも、彼にとってはただの生活の延長。 それは「新しいファッションを作ろう」と考えた結果ではなく、彼が置かれていた日常の姿でした。
ところが、その何気ない姿に強い印象を受けた人物がいました。
そう、マルコム・マクラーレンです。
彼は CBGB で目にしたリチャード・ヘルのスタイルに強い影響を受けたと語られています。 その要素をロンドンへ持ち帰り、ヴィヴィアン・ウエストウッドとともに新しいファッション表現の中へ取り入れ、独自の形へと発展させていきました。
そして、そのスタイルはセックス・ピストルズをはじめとするロンドンのパンクシーンによって広く知られるようになり、「パンクファッション」というイメージが世界へ広がっていくきっかけのひとつとなりました。
もちろん、「パンクファッションはリチャード・ヘルから始まった」と単純に言い切ることはできません。ニューヨーク・ドールズをはじめ、当時のニューヨークにはさまざまな要素が存在していました。
それでも、現在では「ヘルのスタイルが、その後のパンクファッションの原型の一つとなり、マルコム・マクラーレンに大きな影響を与えた」という見方は広く受け入れられています。
もし自分のスタイルが世界中へ広まり、別の誰かがその象徴になったら、「自分が元祖だ」と声を上げたくなる人もいるかもしれません。
しかし、ヘルはそうではありませんでした。
インタビューでは、セックス・ピストルズの写真を見たとき、「ああ、こうやって広まったんだ」と振り返る程度で、マルコム・マクラーレンやジョニー・ロットンを強く非難することはありません。
その飄々とした姿勢も、いかにもリチャード・ヘルらしいと感じます。
ヘルはもともと詩を書いていた人でもあります。
彼は、パンクというスタイルを作ろうとした人ではありません。
パンクファッションを生み出そうと意識していたわけでもありません。
ただ、自分の感性に正直に生き、自分の詩を書き、自分らしくステージに立っていただけでした。
けれど、その「何気ない自分らしさ」が、後に世界中の若者の価値観やファッションにまで影響を与えてしまった。
ニューヨークの一人の青年の自然な生き方が、マルコム・マクラーレンという編集者の目を通して、世界的なカルチャーへと変わっていった。
そんな彼も、今はもうおじいちゃんです。


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